「アウトリーチ活動」を通して感じたあれこれ

日々の中で思うこと

「アウトリーチ活動」と聞いてピンとくる方ってどれだけいらっしゃるのでしょう?

場所によって色んな定義で使われているのかもしれませんが、簡単にまとめると、

“来てもらうのではなく、対象者がいる場所に出向いてサービスや情報を届けること”

演劇で言い換えると、劇場に来てもらうのではなく、小学校や施設に出向いて演技を披露するということですね。

思い返せば、私も小学生の時に自分の学校の体育館で何やらミュージカルを見せてもらった記憶があります。

ああいうところで舞台芸術が何たるものなのかを知って、自ら役者を目指したり、舞台機構に携わるお仕事に目覚めたり、舞台を観に行くっていうことを自分でするようになったり…

本来は自分から行かなければ得られなかったはずの感動・発見が向こうからやってくるって、素晴らしいことですよね。

多くの学校で取り入れてほしいです。できれば低学年はアウトリーチ、高学年は実際に劇場に行って他のお客さんに混ざって本物の舞台を観に行く、そういう実践に繋がるステップがあると、もっともっと日本の教育は豊かなものになっていくんじゃないかなぁなどと想像しています。

そんなアウトリーチで披露しているプログラムを、仕事の関係で見せてもらいました。

それがなかなか素敵だったっていうお話です。

柴幸男さん作・演出「反復かつ連続」

作品はこちらの「反復かつ連続」。

同じ場面を1人の役者が演技を重ねることで、ある家族の朝の風景を描き出す作品。

素敵な作品でした。

誰もが等しくそれぞれの人生を生きているんだなぁ。

なんて当たり前のことが腑に落ちる体験をしました。

切り取られた同じ場面の中の、あらゆる登場人物を一人一人演じていくんです。

その音声を重ねることで、徐々にその場面にいる全員の会話が成立していきます。

おのずと一人の表情・言葉に集中することになるので、

「この人はあの時こういうことを言われたから、こういう気持ちになって、ああいう言葉を発したんだ。」

と一人の心の移り変わりをじっくりと観察できました。

新体験で面白かったです。

最初は何が起きてるのか、この人は一体誰なのか、わからず混乱もするんですが、だんだんと解明されていく過程も含めてとても楽しかったです。

これを観た小学生の反応がとても気になるところです。

むき出しの自分

私たちが観に行く舞台は、照明がついていて、立体的な音響があって、本格的な美術からも作品の世界観が表現されていて…とまさに総合芸術そのもの。

でも体育館で行う場合は機材をどれだけ持ち込めたとしても、いくらかは簡素化された舞台になってしまいます。

今考えるとそれって、役者からすると、もしかすると本当の舞台よりずっと自分が試される場なのかもと思いました。

自分を目立たせてくれていた舞台技術が減る分、自力で自分を目立たせる必要が増してくるのでは…と。

もちろん本当の舞台の方が体育館より大きいでしょうし、集まる観客も目・耳の肥えた人が多いでしょうから、そういう緊張はアウトリーチでは感じないかもしれません。

でも、舞台と観客の距離は近いし、子供の素直な反応がダイレクトに伝わってくるし、あまり声も響かない環境かもしれない。

ありのままで通用する自分でいるくらいにしておかないといけないのかもしれないと思いました。

どんな場所でも身一つで演じ切る技術と度胸…。考えるだけで冷や汗が出てきてます。

改めて「舞台」に立つことを生業にしている人への尊敬の念を抱きました。

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